生産者と消費者


すっかりと健常者のフリも巧くなり、

5日働き2日休む生活が続いている。

労働に対する絶対的な嫌悪感も今や影を潜め、私は会社の歯車の一員となり、安穏と生活をしている。


消費者という話。


私生活において、食糧や日用品などの生活必需品はもちろん、

趣味で集めるものに関しても私は消費者だ。

これらを作る人達が居なければ私の望む生活は成り立たない。


最近、自分は只の消費者であることを後ろめたく思う事柄があった。

生産者>消費者の力関係。

作る側が偉いのか?しかし買う人間が居なければ成り立たない世界ではないか?

何も作れない私はこの世の中において 負け なのか?


この世の中、ほとんどの人が何かの消費者であり、何かの生産者である。

私は雇用を生産する仕事をしている。

労働に対する嫌悪が強い癖に、とても矛盾した行為だ。

もちろん私はこの仕事内容に魅力を感じたわけではない。

望んだ仕事で生活ができる人間なんぞ砂粒の確率程度だろう。


夢破れた私は夢叶えた輝く生産者たちを見る度に負い目を感じ、

一介の消費者であることへの劣等感に苛まれる。


そして行き着く先は、何のために大学に入ったのだろう、という堂々巡りの後悔なのだ。



去年の私、今の私

去年の日記を見たら、メンヘラに終止符を打つと書かれてあった。
誠に残念ながら、終止符を打ちきれなかったようで、今でも薬を飲まなきゃ動けないし、飲んでいても人に迷惑をかけてしまう。
 しかしニート予備軍からは脱する事ができ、今はしっかりと働けている。
仕事を楽しいと思う事ができるようになったのだ。
仲間と仕事を成し遂げるのが何より楽しい。
そんな、人並みの思考を持つ事ができた。

プライベートの事で言えば正直言って、今の精神状態が安定してるとは言い難い。何が正しいのか全くわからない。
やり場のない悲しみをぶつける先がどこにもなくて、また身体に傷ばかり増えてしまった。

藁にもすがる思いで、今から兄に会いに行く。

友達

私には腹心の友がいる。

今日は朝から憂鬱な気分が続き、久々に自傷衝動があった。
職場にたどり着くまでにかなりの時間を要した。
軽度〜中度の状態の波が久々にきてしまったのだ。

そこで私は、大学からの友達RにSOSを求めた。
Rは私と同じような症状を持つ困ったちゃんで、紆余曲折ありながらも仲はずっと続いている。

日本橋のレストランに着くなり、ボディショップのギフトセットを引っ越し祝いだと言って渡してきた。
それは私の好きなロータスの香りだった。

私が今悩んでることについてRは、
「とことん後悔するまでやってみな」
と宣うた。
コイツ、面白がっているな?とは思ったが、なんだかそれも悪くないような気がして。
ウジウジと叶わないことを悩んでるより、じゃじゃ馬みたいに片足突っ込んでみてケラケラ笑う方が性に合ってるなと思った。

ロータスの香りに包まれて、今、私の頬は緩んでいる。

2連休

仕事も少しずつ慣れてきた。
なんとかやっていけそうだ。

今日はあざみ野の祖母の家に行ってきた。
行きしなにたまプラーザでシュークリームを土産に買い、バスに揺られた。
間違えて1つ手前の停留所で降りてしまった。とても暑かった。
久々に訪れた家は、メダカの学校が併設され、新しいチワワが増えていた。
祖母と2人で回転寿司屋に行き、明日の朝に食べる分のパンを買った。

働いて一週間が経った

初日は、母親に泣きながら電話した。
二日目は電話をしていたら自然と涙が出てきた。

正直、自分にあっている仕事かどうかはわからない。いや、どちらかというとあってない方だと思う。
だけど今は一人暮らし。しばらくの間は踏ん張って頑張るしかないんだ。
もうあちら側に戻っちゃいけないんだ。
明日は休み。何をして、どこへいこう。